アリエルさん(当時30代)の『バージンロードを父親でなく母親と一緒に歩いた』体験
アリエルさんに聞きました。「結婚式に決まりきった形なんてないと思います」
【アリエルさん】
ことの起こりは私より10年前に式を挙げた妹の結婚式でした。
バージンロードを父と歩く妹の姿を見て、横にいた母がぽつりと呟いたのです。
「子育てはほとんど私がしたのになんでバージンロードはお父さんと歩くのかしらねぇ(※注)」
その言葉にいつか自分にもし結婚式をする時があったら母と歩こうと私は決めました。
「じゃあ私の時はお母さんいっしょに歩こうよ」
いつその願いを叶えてあげられるかも分からない淡い約束でした。
私の式が決まる何年か前に、私が勤めていた会社のアルバイトの女の子が
「私には母親しかいないんだけど、バージンロードはお父さんでないと駄目なのかな」
と話していたのを思い出しました。
私は
「いつか自分の式の時は母とバージンロードを歩くと決めてるの。あなたを育ててくれたのはお母さん、そしてお父さんの代わりでもあるのだからお母さんと歩いたらいいんじゃないかな」
とアドバイスしたのです。
そして母との約束を、突然叶えてあげられる時がやってきました。
結婚式が決まってまず最初に、わたしはウェディングプランナーさんに「バージンロードを母と歩きたい」と式の希望を伝え、相談にのってもらいました。
式の会場に選んだのは横浜の大さん橋です。
船の搭乗デッキを利用した式場のため、神父様が待つ祭壇までのバージンロードは、通常より長い距離でした。
階段上まで父と歩き、階段を妹と下り、階段下で待つ母にべールを下ろしてもらい、主人の待つ神父様の前へ母と共に歩きました。
長年待たせた約束でしたがやっと叶えられ、母への恩返しができたと思った瞬間でした。
バージンロードは、その人の人生に一番より添った方が歩くセレモニーだと聞いています。
結婚式とは「こうでなくてはいけない」形なんて、ないのではないかなと思います。
(※注)バージンロードは花嫁の人生を表しており、花嫁が新たな人生を歩むための最後の仕度である「ベールダウン」をおこない送り出すのは母親が、ヴァージンロードを共に歩み、花嫁を花婿に託すのは花嫁の人生を支えてきた父親が担うのが一般的でしたが、現在では「感謝を伝えたい一番大切なひと」と解釈して役割をお願いするケースも増加しています。
ベールダウン、ヴァージンロードにまつわる体験談はこちらから
【教えて!みんなの結婚物語8】まさかのベールダウン失敗!?でも由来や意味を考えたら素敵なセレモニーに☆~いまはるさんの場合~
【みんなの結婚物語】を見守り続けてきたグラハム子さん。結婚に対する想いは変わった?
この連載をさせていただいて「結婚式の数だけ物語があるんだな」という思いが一番の感想です。
私自身は結婚式を挙げなかったので(※注)、私の経験できなかったエピソードを連載を通じて学べた感じがします。
(※注)グラハム子さんはさまざまな事情で夢見ていた海外挙式を取りやめ、お披露目パーティのみ行いました。その時のいきさつはぜひ漫画で!
グラハム子さんからプレ花嫁さんたちへ。『結婚式のここだけのはなし』第1話
私自身は、結婚に関して割とドライなのか『結婚=婚姻届を出す』と考えていて、結婚式は『イベント』だと捉えていました。
けれど皆さまからいただいた体験談を読んでいると、結婚式は単にイベントではなく、人生のけじめであったり、それに何より親への感謝の場であると伝わってきました。
私はいま、小学生と幼稚園児の子どもがいますが、将来我が子の結婚式があればやはり嬉しいです。我が子が立派になった姿、幸せそうな姿をこの目で見たいです。
そう考えると、自分が結婚した時はまだ親の立場で考えきれていなかったのだなと思いました。
とはいえ、我が子が「しない」選択をしたのであれば、それはそれで良いんです。
あくまで「結婚する当人達が納得いく結婚である」のが最も大切です。
納得のいく結婚は人それぞれ違いますからね。
式を「する」「しない」だけでなく、挙げるとしたら和装か、洋装か、誰を呼ぶか、どんな構成にするか…。
様々な準備や事情を考える必要があって、進めていくうちに、どうしても我慢しないといけないところであったり、不満に思う場合もあると思います。
体験談の中には、式自体は大満足だったけれど、ゲストの対応で複雑な思いをした、なんていうケースもありました。
人生、起こってしまった出来事は取り消せません。肝心なのは、起こった出来事に対し、どう心の折り合いを付けて前に進んでいくかだと思います。
グラハム子さんからプレ花嫁さんたちへ。『結婚式のここだけのはなし』第4話
私は「妥協」という言葉があまり好きではないんです。ただ、ほぼ同じ意味ですが「折り合いをつける」という言葉は好きです。
自分とは異なる価値観を認め、無駄に怒らず、納得できるところに心を持っていく・・・その作業が自分をぐんと成長させると感じています。
結婚は、その作業をする機会がいっぱいあると思います。もちろん式の後もです。
新婚の頃はそれがなかなか難しく、とても時間がかかったけれど、10年目のいまでは、だいぶすんなりできるようになりました。
するとだんだん不満がなくなり、毎日心穏やかに過ごせるようになったから不思議です。
私にとって結婚は、自分の心をどんどん豊かにするための一つのきっかけになってくれました。
そして今回の連載も、私が経験できなかった気付きを得る良いきっかけになりました。
送られてきた体験談を読むと、本当に結婚の数だけ色々なドラマがあって、共感したり、笑ったり、考えさせれれたり・・・自分の中の視野が広がりました。
何より、どれもリアルなお話なので登場人物の表情も自然と豊かになり、描いていてとても楽しかったです。
短い間でしたが本連載を最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。
多様化する結婚式のかたちの豆知識1. 過去も変遷を繰り返してきた結婚式のかたち
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現在の結婚式は神社やチャペルで挙式をおこない、その後披露宴や会食をゲストと楽しむスタイルですが、実は現在のウェディングスタイルになるまで、古来からその時代のセレブたちのウェディングを模倣する形で、時代に合わせさまざまな変化を遂げてきました。
明治時代の写真館と美容師のコラボがウエディング産業の起源
日本の婚礼文化は室町時代にほぼ整ったとされています。平安時代から鎌倉時代には「婿入り婚」(夫が妻の家に通う婚姻形態)でしたが、やがて武家社会の発展とともに、現代の「嫁入り婚」の形態に変化してきました。江戸時代は新郎新婦どちらかの自宅で婚儀をおこなう「祝言」と呼ばれれる人前式が主流でした。
明治時代になると、西洋の写真撮影技術を学んだ写真館が、結婚の記念に夫婦を撮影するようになったのが現代ウェディングの起源とされています。
写真館が地元の和装美容師と提携して新婚夫婦や家族写真などの撮影をし始め、それ以降、お見合い写真や結婚の記念写真という形でウエディング産業が発展していったのです。
現代の結婚式のルーツは大正から昭和。専門式場時代へ
現代の神前式のスタイルは大正天皇の婚儀がモデルとなり、その後上流階級を通じて庶民に一気に広がりました。結婚式場のルーツとしては、昭和の初めに料亭として開業した目黒雅叙園が結婚披露宴を行なったのが源といわれています。
やがて神社(日比谷大神宮・現在の東京大神宮)で挙式したあと、帝国ホテルで披露パーティーを行なうスタイルがセレブの間で流行。それがホテルウエディングの創始とされています(1923年同ホテルライト館のバンケット完成)。
第二次大戦後には明治記念館がオープン、また椿山荘や八芳園なども、結婚式場としての利用が増えていくようになります。全国各地にこれらのビジネスモデルを用いた専門式場ができました。
90年代からホテル・レストランが中心の時代へ
実はホテルが結婚式に本腰を入れてビジネス展開するようになったのは、バブル経済が崩壊した90年代前半です。法人向け宴会から個人向け宴会へ主戦場を移し、館内型チャペルを独立型チャペルに改修する流れが激しくなりました。
また、テレビ番組「料理の鉄人」(1993年~、現在の「アイアンシェフ」)の影響によるグルメブームで、レストランウエディングブームも到来。結婚式の料理にこだわる新郎新婦が増え、自由度の高いオリジナルウエディングが人気急上昇したのです。
より進化した現代の専門式場・ゲストハウスの時代へ
さらにレストランウエディングの自由度、プライベート性、専門式場のノウハウを結集したのがゲストハウス(ハウスウエディング)です。
大聖堂のチャペルを中心に広がるヨーロッパの街づくりを参考にして、独立したバンケットが建つビジネスモデルは、ホテルや専門式場のロビーで複数の花嫁がすれ違うという課題を解決し、プライベート空間を貸し切ってウエディングを行なうという新しいスタイルを確立しました。
バブル後に「ゼクシィ」が創刊されたことにより、それまで不透明であった結婚式の内容やトレンドが画一化されたことも、華やかなウェディングブームをより後押ししたのです。
ゲストハウスは郊外にビレッジハウスタイプ(ルーデンスタイプ)の会場を展開して来ましたが、大都市圏の地価がさがったことで都心部への進出を開始。いまでは都心部駅近にビルインタイプの会場を新規出店するケースが主流となっています。
多様化する結婚式のかたちの豆知識2. 結婚式は多様化しても「やりたい」気持ちは変わらない
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新型コロナウィルス感染症の拡大は、以前まで当たり前に「結婚式はするもの」と思っていた意識と「普通の結婚式のかたち」の概念に、大きな変化をもたらしたと言われています。
実際に結婚を間近に考えている男女にどんな考え方の変化があったのでしょうか。
ワタベウェディングでは、緊急事態宣言後、感染が再び急拡大していた2020年7月に、2年以内に挙式を希望する20代・30代の未婚・既婚男女300名(男性150名、女性150名)に、結婚式に対する意識がどのように変化したかアンケート調査をおこないました。
出展:「withコロナ時代の結婚式参列に関する意識調査」/ワタベウェディング2020年10月発表
コロナ禍の影響で結婚式に対する価値観や考え方に変化があった人は約6割
「新型コロナウイルス感染拡大の影響で、結婚式に対する価値観や考え方に変化はありましたか?」と尋ねたところ全体の56.7%、男性の51.3%、女性の62.0%が「はい」と回答しました。
結婚式への考え方が変わっても「結婚式をしたい」人は9割
先の質問で「新型コロナウイルス感染拡大の影響で、結婚式に対する価値観や考え方に変化はあった」と回答した方に、「新型コロナウイルス感染が収まったら挙式したいと思うか?」といった質問をし、現在の考えと近い考え方について、「とてもそう思う」「少しそう思う」「あまりそう思わない」「全くそう思わない」の4択から選んでもらいました。
結果、全体の38.8%が「とてもそう思う」を選び、「少しそう思う」の49.4%と合わせても、約9割の方が「そう思う」と回答しました。
結婚式に対する考え方は変わっても「結婚式は行いたい」との思いは、多くの人が変化していないと分かります。
ゲストの招待人数は家族を中心とした少人数を希望
「結婚式への考え方」を大きく変えた要因のひとつに、新型コロナウィルス感染症の拡大を防ぐため、大人数を招待する従来の結婚式の計画が難しくなった点が挙げられます。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、希望する結婚式の方法またはゲストの人数について「新型コロナウイルス感染拡大以前は何名くらいのゲストの招待を希望していましたか?また、現在は何名くらいのゲストの招待を希望していますか?」と尋ねたところ、「家族のみ」と回答した方が、“感染拡大前”は29.1%、“感染拡大後”は44.7%と大幅に増加しました。
コロナ禍以前は少なかった『少人数での結婚式のスタイル』が、現在の結婚式の主流のひとつになりつつあります。
体験談を漫画化してくれた『グラハム子さん』とは
グラハム子さんは現在、恥ずかしがり屋な息子さん、破天荒な娘さん、クレイジーな夫のトシさんとの4人家族。グラハム子家にはそのほかにも、猫と亀、ハムスター、ウーパールーパーという楽しい相棒がいます。楽しい日常備忘録を育児漫画やエッセイ漫画として、InstagramやさまざまなWEBサイトで連載中です。グラハム子さんの活動をぜひチェックしてみてくださいね。
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